「博物館論」:広重美術館と浮世絵
2024/12/08
皆さんは山形県天童市の広重美術館に行ったことはありますか。この美術館は1997年4⽉に天童温泉の旅館「ほほえみの宿 滝の湯」によって設⽴されました。江⼾から明治時代の浮世絵をコレクションの対象とし、初代から五代までの歌川広重や同時代に活躍した絵師たちの素晴らしい作品を所蔵しています。
2024年12月4日(水)の「博物館論」(本学准教授・正田倫顕担当)には、広重美術館副館長の梅澤美穂様にお越し頂きました。美術館の業務を総合的に担当されている視座から、浮世絵作品と美術館の魅力についてお話し下さいました。
講義の様子
広重美術館はコロナ禍の2021年4⽉から3年間の休館を経て、本年4⽉にリニューアルオープンしました。まずは展示室の改修の様子や作品の見せ方、地域の交流スペースとして賑わいを創出することなどについて、ご説明頂きました。
次に歌川広重(1797-1858)の人生とその作品について分かりやすくご解説下さいました。広重は鳴かず飛ばずの不遇の時代が続きましたが、36歳ころに「東海道五拾三次」がヒットします。彼の作品は西洋絵画にも大きな影響を与え、ゴッホ(V. van Gogh, 1853-90)は《名所江戸百景 亀戸梅屋敷》を油絵で模写しています。またモネ(C. O. Monet, 1840-1926)も《名所江戸百景 亀戸天神境内》を観て、自分の庭に藤棚と太鼓橋を作っています。このように大きなインパクトを与えるに至った浮世絵とはそもそも何だったのでしょうか。
歌川広重《亀戸梅屋敷》とゴッホ《花咲く梅の木》
浮世絵の「浮き世」とはもともと「憂き世」のことを指していました。いつの時代もつらいことが多い世の中ですが、近世初期から現世を肯定し享楽的に生きようという意味に転じたそうです。それで「憂き世」が「浮き世」になったということです。浮世絵の制作には20人ほどの職人が携わり、版元と絵師、彫師、摺師などの分業体制が整っていきました。テレビもスマホもない時代に、浮世絵は知らない土地の風景や有名人の姿、流行のおしゃれなどを伝えるメディアになったのです。
尚絅学院大学5G教室
こうした歴史を踏まえた上で、鑑賞の仕方もご教示頂きました。作品には多くの情報が盛り込まれており、画題を示す文字や落款、版元印、検閲印、彫師の名前などを読み取ることができます。また初摺と後摺では線や色が全く異なることもお示し下さいました。教室にほんものの浮世絵作品をおもち下さり、紙の質感や裏打ちの様子、虫食いの跡などを手にとって実感させて頂きました。
学芸員の仕事によって美術館が身近な存在になることを学生たちは改めて認識できました。博物館はすべての人々に学びや楽しみを提供し、新しい世界の扉を開くきっかけの場であることを教えて頂きました。そして若いうちにほんものの芸術作品に接して、人生を豊かにすることの重要性に目が開かれた素晴らしいご講義でした。
梅澤美穂様、ありがとうございました。