尚絅学院大学

人文社会学類 お知らせ

SDGsコラム 目標 5 「ジェンダー」 ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う

2022/08/05

ジェンダー平等の実現に向けた国連の動きと日本の取り組み(渡邊千恵子)

 ジェンダー平等に向けた国連の動き

 1975年の「国際婦人年」(現在は、「国際女性年」と表記)からもうすぐ50年がたとうとしています。私が「国際婦人年」を知ったのは、大学で「女性学」と出会い、学び始めてからでした。今回は、若い皆さんに、国連や日本がジェンダー平等を達成するためにどのような道のりをたどってきたかを紹介しましょう。             
 
 1975年の国際婦人年に国連が開催した「国際婦人年世界会議(メキシコシティ)」では、国際婦人年の目標達成のために「世界行動計画」が採択され、その年の国連総会では、1976年から1985年までを「国連婦人の10年」とすることを宣言し、その目標を「平等・発展・平和」と定めました。そして、1979年の第34回国連総会において「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)」が採択され、1980年に開催された「国連婦人の10年中間会議(コペンハーゲン)」では、この条約の署名式が行われ、駐デンマーク大使高橋展子氏が署名しました。この署名が、日本国内における「ジェンダー平等」を大きく推し進めることになりました。 その後も国連は動きを止めず、1985年の「国連婦人の10年ナイロビ世界会議」、1995年の「第4回世界女性会議(北京)」が開催され、女性の地位向上のための取り組みが継続して行われてきました。北京会議では、「女性及び少女に対するあらゆる形態の暴力を阻止し,撤廃する。」といった項目を含む北京宣言、行動要綱が採択されました。
 ジェンダー平等を目指す国連の様々な取り組みを見て、皆さんは何を感じたでしょうか? もちろん、高校生や大学生の皆さんは生まれてはいませんが、これらのことが世界の公的な場で検討されたのは、わずか数十年前のことなのです。

日本社会における女性の状況

 この国際的動きのなかで、日本国内において、女性はどのような状況に置かれていたのでしょうか? 1970年代には当時の労働省(現在の厚生労働省)が「婦人問題審議会」において職場の男女平等や雇用における男女の機会均等や待遇の平等に関して検討を始め、公務員の受験資格についても女性の門戸が広がっていきましたが、全体としてみるとジェンダー平等にはほど遠いものでした。その頃の女子高校生は、四大より短大進学、あるいは高卒を選択し、就職、寿退社(結婚を機に退職すること)というロールモデルを内面化していました。そのような選択肢しかなかったとも言えます。1980年の大学進率は、男性が約40%、女性が約12%と、男性の1/3しか女性は大学に進学していませんでした。また、仕事の面では、女性がどんなに優秀であっても、働く意欲があっても、企業は結婚退職を当たり前と考えていた時代でした。

日本でジェンダー平等を推し進めたた3つのこと

 それを変える大きなきっかけとなったのが女子差別撤廃条約です。日本は、この批准に向けて、条約と齟齬のないように国内法を整備する必要があり、日本の場合は3点に関して法整備が行われました。ひとつが国籍法の改正です。当時、日本は父系血統主義をとっていたので、外国人男性と日本人女性との間に生まれた子は日本国籍を取得できませんでした。それを父母両血統主義に変え、母が日本人の場合も日本国籍が取れるように改正(1985年)しました。

 二つ目は学習指導要領の改訂でした。当時は高校の家庭科は女子のみが必修とされていましたが、条約の「男女同一の教育課程享受の機会確保」との関連で、1994年に高校家庭科が男女必修となりました。

 三つ目は、条約の「雇用の分野における女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置」に基づく法整備で、1986年に男女雇用機会均等法が施行されました。私はまさに雇均法世代で、大学の同級生たちは「総合職」として採用され、多くの女性がそのあとに続きました。この法律は、制定時には「努力義務規定」が多く、ザル法ともよばれましたが、その後、何度か改正され、女性の労働におけるジェンダー平等の実現に向けて実行力を強めていきました。

 その後、日本では、男女共同参画社会基本法(1999年)、DV防止法(2001年)、次世代支援法(2003年)、女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(2015年)、政治分野における男女共同参画の推進に関する法律(2018年)など、様々な法律がつくられ、ジェンダー平等の枠組みがつくられてきました。

低い「ジェンダー・ギャップ指数」

 2022年の日本のジェンダー・ギャップ指数は146カ国中116位で、主要7カ国(G7)で最下位です。 ジェンダー・ギャップ指数とは、スイスの非営利財団「世界経済フォーラム」が独自に算定したもので、4分野(経済・教育・保健・政治)から構成されており、ジェンダー平等の達成度をはかる指標です。日本は、政治分野が139位、経済分野が121位と、この二つの分野において、極めて男女格差が大きい状態であることが示されています。

 政治分野では、国会議員や大臣の女性割合が低いこと、女性首相が誕生していないことが低評価につながっています。上位にランクされたアイスランド、フィンランド、ニュージーランド、スウェーデンでは、女性首相が国のリーダーとして活躍しています。今年の5月にフィンランドのマリン首相(36歳)が来日したことは記憶に新しいところです。
 経済の分野では、女性の労働参加率、同一労働の賃金格差、収入格差の順位が低く、中でも管理職の女性割合が130位ときわめて低いことが分かりました。
 ジェンダー・ギャップ指数は、「0」が完全不平等、「1」が完全平等を示しています。実は1位のアイスランドでも0.908、2位のフィンランドは0.806と完全平等には至っていません。そのような状況であっても、日本の0.650(116位)という数字は、日本における男女格差が顕著であり、完全平等にはほど遠い状態であることを示しています。
 
 



 

ジェンダー平等への歩みは続く

 ジェンダー平等は、これまで女性の地位向上や待遇改善に関して推し進められてきましたが、決して女性だけの問題ではありません。男性もジェンダー平等の当事者です。日本社会における「男らしさ」の規範は、男性に長時間労働を強い、家庭生活への関わりを乏しいものとしてきました。性別役割分業は、家族に関する様々な問題の一因となっています。

 皆さんは、どのような人生を送りたいですか。
 私は、女性も男性も、それぞれが自分の能力や資質を生かし、対等にコミュニケーションする力や経済力を持った自立した個人として、大切な人を尊重し、協働する関係を築いていきたいと思っています。でも、それは誰かが与えてくれるわけではなく、自分自身をエンパワーメント(力をつけること)していくことにより、実現していくものです。ジェンダー平等の実現という目標は、過去のものでも遠い国のことでもありません。今、日本で生きている皆さんが大切な人と豊かな関係を築き、幸せに生きていくためのカタチです。ジェンダー平等への歩みは、これからも続いていきます。