【それって、どんな学問?】日本史とは何か?
2022/12/01
日本史とはどういう学問か(千葉正樹)
大学でも日本史?
百数十もの年号、難読人名の数々、複雑に絡み合う事件、高校までの日本史は、まさに頭脳の「体力」勝負、暗記科目中の暗記科目、それですっかりいやになってしまったという方も少なくないと思います。それをまだ大学でもやらせられるとなると、覚える年号は数百にも増えるだろうし、と最初から諦めたくもなるでしょう。
しかし大学の日本史はまったく違います。いわばミステリーを解読していくように、あたえられた材料=史料(歴史資料)を読み進め、先行研究と突き合わせ、新しい歴史像を紡ぎ出していく過程を生々しく体験していくこととなります。これが日本史だという教科書はありません。まずすべてを疑ってみるところからはじまります。
「日本」さえ無かった
一例を挙げましょう。「日本史」といえば日本の歴史ということでいいのでしょうか?日本という国号が定められたのは701年、東アジア国際社会がそれを認めたのが702年です。それまで倭と呼ばれる国家がこの列島に存在し、それなりの国家システムも作り上げていましたが、日本という言葉さえありませんでした。7世紀までは「日本史」は存在しえなかったのです。
倭から日本へ、そこには中国を中心とする文明圏のなかで地位を固めていこうとする先人たちの戦いと努力がありました。それは中国化と独立確保という二つのベクトルの間で、大変なバランスを取ったということでもあります。そこを読み解いていかないと「日本」はみえてきません。
事実の束と歴史像
歴史は事実(史実)の膨大な束として存在します。そのすべてが解読できているわけでもなければ、解読されたはずの歴史像がまったく異なる「読み」によって塗り替えられたりもします。新史料の発見は間違いなく新しい歴史の一筋を付け加えることでしょう。一度読み込まれた史料が、異なった歴史観を持つ研究者によって、新しい視点から読み替えられることもしばしばあります。そこに歴史研究の醍醐味があります。
したがって、大学で教える日本史とは、日本列島に伝えられた世界トップの量を誇る史料を材料に、自らの歴史像を組み上げつつある研究者による、独自で最先端の研究発表の場となることがしばしばです。 大いに面食らって、最前線のスリルを味わい、またその研究に加わっていただきたいと思います。