尚絅学院大学

人文社会学類 お知らせ

イスラエルとユダヤ人:古代から現代(後半) (上村静)

2022/10/15

上村先生がイスラエルとユダヤ人について解説してくれます。
後半は、イスラエルの歴史から、「ユダヤ人」とは誰か、解説してもらいます。

シオニズムって何よ:イスラエル建国とパレスチナ問題

中世西欧はローマ・カトリック教会の支配下にあったが、ルターの宗教改革によって教会支配は終わりを告げ、国家による支配がはじまる。絶対王政の時代が市民革命によって終わりを迎えると、国民国家という国家形態ができてくる。ずっと異人扱いされてきたユダヤ人も「国民」の仲間に加えられるようになった。「ユダヤ系フランス人」や「ユダヤ系ドイツ人」という人たちが出てきた。ユダヤ人の中には、国民になれたのだから自分たちも古いユダヤ教の習慣に固執しないでよい国民として振る舞おうと考えて、ユダヤ教を改革する人や、ユダヤ教を棄教する人が出てきた。
ところが、同じ国民になったはずなのに、生まれがユダヤ人だというだけの理由で差別されるようになった。いわゆる「人種差別」というのが生まれた。近代の人種差別は中世の魔女狩りに劣らない残酷さがあり、ユダヤ人の中から自分たちの国を持たないと抹殺されてしまうと考える人たちが出てきた。これがシオニズム運動である。「シオン」というのはエルサレムの中のかつて神殿があった丘の名前であるが、そこからエルサレムの代名詞となっていた。つまり、シオニズムとはエルサレムを中心としたかつてユダヤ人の先祖が住んでいた土地パレスチナに帰還する運動のことである。ヨーロッパ大陸のユダヤ人差別は激しさを増し、ナチス・ドイツによってユダヤ民族を地上から抹消することを目的とした虐殺が行われるようになった。
ドイツ敗戦後にユダヤ人大量虐殺という事実を知った欧米キリスト教諸国は、キリスト教会による長いユダヤ人迫害の歴史を反省し、イスラエル国の建国を承認することにした。しかしながら、パレスチナは無人の土地だったわけではなく、そこにはアラブ人が住んでいた。イスラエルの建国は、そこに住んでいたアラブ人たちを虐殺し、追い出すことによって実現したのであり、それはアラブ人にとってはナクバ(大災厄)と呼ばれる悲劇であった。イスラエル建国の翌日からいわゆる中東戦争が始まるが、このときにイスラエルの敵として戦ったのはエジプト、シリア、ヨルダン等のイスラエルを取り囲むイスラム教の国々であった。シオニズム運動が、長年うまくやってきたユダヤ人とイスラム教との関係を破壊し、敵対関係にさせる契機となってしまった。

イスラエルって何よ、再び:「ユダヤ人」とはだれか

エルサレムの女性兵士たち(腰にライフル銃あり)

エルサレムの女性兵士たち(腰にライフル銃あり)

イスラエルは「ユダヤ人の国」ということになっている、実際にはパレスチナ人も住んでいるにもかかわらず。イスラエル国の規定によると、「ユダヤ人」とは母親がユダヤ人であるか、ユダヤ教徒であるか、どちらかの要件を満たす者となっている。母親ということは「血縁」がユダヤ人の証明ということだけれど、イスラエルに行けばわかるように、そこには白人、黄人、黒人、それらの混じった人たちがいる。どう見ても血のつながった民族とは思えないし、同一地域の出身者集団とも思えない。そう、彼らはディアスポラの民の子孫なのだ。世界中に散らばって子孫を生み出してきて、そして現代になってイスラエルに移住してきた人たちの集まりである。
ではこのユダヤ人たちはユダヤ教徒なのかというとそうでもない。現在のイスラエルに住むユダヤ人のおよそ8割はユダヤ教の教えを守って生きてはいない。ユダヤ教の教えを守る超正統派の人の中には、伝統的なユダヤ教の考えを固く信じて、人間の作ったイスラエル国は認めない、それはいつか神が再建するものだからと言う者もいる。つまり、この人たちはユダヤ教徒なのだから間違いなく「ユダヤ人」なんだけれど、その彼らこそがイスラエル国を認めないという。逆に、ユダヤ教を守らない人たちがイスラエルを「ユダヤ人の国」と言っている。そして、世界中から集まってきた移民同士でできてる割には、意外と結束力が強い。そこには皆兵制ゆえの軍隊での仲間意識がある。つねに戦争状態であるという緊張感が仲間意識を持たせている。
さらにイスラエルは世界でも有数のスタートアップ企業の多い国でもある。迫害の歴史を持つユダヤ人は、教育に力を入れる伝統がある。それに加えて、そもそも軍事産業というのは最先端技術を持っている。兵士であり、博士であり、社長である人は珍しくない。イスラエルの徴兵制は、男子は18歳から3年、女子は2年である。それが終わると彼らの多くは「自分探し」の旅に出る。彼らの好みの旅先の一つは日本である。日本好きなイスラエル人はたくさんいるし、日本人と結婚する人も珍しくない。旅を終えると、大学に行ったり、働いたりする。高校を卒業したらすぐに進学ないし就職ということはない。だから大学にいる人たちの年齢も様々である。大学を卒業してからの進路も様々で、そもそも「新卒採用」という奇妙な風習は日本にしかない。

 

アルベル山頂から見たガリラヤ湖

アルベル山頂から見たガリラヤ湖

中東は危ない、というなんとなくのイメージがあるかもしれないけれど、イスラエルは意外と治安がいい。アジアの西の果ての地中海に面した土地、南には砂漠と死海の寂寞とした光景が広がるが、海沿いの町はリゾート地でもあり、エルサレムには中世の石造りの街並みがあり、北のガリラヤ湖周辺には温泉と緑がある。周りを敵国に囲まれているイスラエルは食料自給率が高い。イスラエル名産のスウィーティーという緑色のグレープフルーツが日本でも売られている。どの町にもカフェが軒を並べ、ファラフェルというひよこ豆のペーストを揚げたコロッケをピタパンにはさんだサンドウィッチを食べつつ、ビールを飲んでいる。長い迫害の悲劇の歴史があり、今は弾圧する側にいてアラブ人に悲劇をもたらしているけれど、そこにはそうした問題に苦悩しつつもたくましく生きる人々の生活がある。悲しくも魅力的な地イスラエル、一見の価値はある。