尚絅学院大学

人文社会学類 お知らせ

イスラエルとユダヤ人古代から現代(前半) (上村静)

2022/09/15

上村先生がイスラエルとユダヤ人について、二回に分けて解説してくれます。
前半は、イスラエルとは何か、ユダヤ人とは何か、についてです。

イスラエルって何よ:ユダヤ・キリスト・イスラム

オリーブ山から見た岩のドーム(エルサレム)

オリーブ山から見た岩のドーム(エルサレム)

イスラエルという名前はなんとなく知られているが、イスラームと混同している人も少なくない。イスラエルはユダヤ人・ユダヤ教にかかわる名前であり、イスラームはイスラム教のことであるから、たまたま似た名前ではあるけど別物である。とはいえ無関係というわけでもない。ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、どれもアブラハムの宗教と呼ばれている。キリスト教はもともとはユダヤ教の一派であったが、1世紀の終わりにユダヤ教から分離することで別の宗教として認識されるようになったものである。ユダヤ教はイスラエル民族=ユダヤ人の民族宗教であり、そのイスラエル民族の始祖がアブラハムである。イスラム教はもともとはアラブ人の宗教であり、アラブ人の始祖はユダヤ人と同じアブラハムである。アブラハムには2人の息子がいて、長男のイシュマエルがアラブ人の祖先、次男のイサクがイスラエル人の祖先ということになっている。こうしてみると、イスラム教が一番古い宗教のように見えるかもしれないけれど、成立の順番では、ユダヤ教(前13世紀ころ)→キリスト教(後1世紀)→イスラム教(後7世紀)である。この三つの宗教は三大一神教として知られていて、実は同じ神を信じている。にもかかわらず、あるいはだからこそ、互いにあまり仲が良くない。

ユダヤ教って何よ:聖書

対ローマ戦争で廃墟になったゴラン高原の町ガマラ

対ローマ戦争で廃墟になったゴラン高原の町ガマラ

ユダヤ教はユダヤ人の民族宗教である。「ユダヤ人」という呼び方はギリシャ時代以降の他称であって、ユダヤ地方の出身者という意味であり、ユダヤ人自身は古代から現代にいたるまで「イスラエル」を自称している。民族宗教の起源は、ある人間集団が自分たちを民族集団だと思ったときに民族意識とともに出来上がるものである。そのため、ユダヤ教の起源はユダヤ人が自分たちは「イスラエル民族だ」と思った時からあることになる。けれどもそれはなんとなくの習慣を共有しているだけの弱い絆だから、戦争で負けると失われてしまう。
古代にはいろいろな民族がいたけれど、今日まで残っている民族集団はそれほど多くない。ところがユダヤ人は前13世紀くらいから今日までものすごく強い絆をもった民族集団であり続けている。その絆は彼らが生み出した聖書にある。聖書というと神の言葉が書かれているとか、真面目な教訓に満ちているとかといった印象があるかもしれないけれど、ユダヤ人の聖書はいかに自分たちの先祖が神に逆らってきたかという民族の歴史物語になっている。
ユダヤ人のための書物だから、ユダヤ人の歴史が書いてあるのは驚くことではないが、わざわざ先祖の悪口で満ちているのにはそれなりの理由がある。実は、彼らが先祖の歴史を書こうと思ったのには、戦争に負けて捕虜として連行されたという悲劇の歴史がかかわっている。世界史の教科書にも載ってる「バビロン捕囚」という出来事だ。古代において戦争は国と国の戦いであるだけでなく、それぞれの国の神と神の戦いでもあった。ユダヤ人は戦争に負けたのだから、ユダヤ人の神が負けたということになる。けれども、ユダヤ人のエリートたちはこれを認められなかった。そこで、自分たち民族が神の教えを守らなかったから、神が罰として敗戦という憂き目を味わわせたのだと解釈し、その解釈に即した物語を書いて民族の「歴史」にしたのである。
先祖の罪を描くのは、読者である子孫に同じ過ちを犯すなという教訓にするためであり、同じように外国に連れ去られることのないようにと、神の教えを「律法」という法規定の形にして聖書に収めそれを守るように子々孫々に伝えて今日にいたる。敗戦から学ぶという点では、現在の日本国憲法に通じる考え方である。

ディアスポラって何よ:迫害される少数民族

聖書は書物だから言葉で書かれている。言葉というのは考えを伝えるのに適した便利な道具のように思われているけれど、正確に考えを伝えるのは意外と難しい。聖書が定められ、そこに書かれた律法を守って生きるべしというのはいいけれど、日常生活の中で具体的にどう振る舞えばいいのかというのは結構めんどくさい問題である。
前2世紀~後1世紀のユダヤ人は、この聖書解釈をめぐって分派がたくさんでき、互いに対立しあう分裂の時代を迎えてしまう。そうした中からキリスト教のもとになる分派もできた。前1世紀~後2世紀にはローマ帝国の支配下にあって、ローマ人への憎しみが高まっていき、内部分裂したまま2度の反乱を起こすが、手ひどい敗戦を喫してしまう。この時以来、ユダヤ人は自力で独立国家を再建することはしない、それはいつか神がやってくれることだ、と信じるようになる。と同時に、敗戦によって多くのユダヤ人が奴隷としてローマ帝国に連れていかれ、あるいは戦禍を逃れてあちこちに分散して住むようになる。外国に少数民族として暮らす状態をディアスポラという。
ユダヤ人は「離散の民」と言われたりするけれど、この「離散」という日本語はディアスポラの翻訳語である。外国に少数民族として暮らしながらも現地の人に同化しないで独自の習慣を守っていると、たいていは嫌われてしまう。ユダヤ人はこの嫌われた状態にありながらもディアスポラの民であり続けることが、神が彼らに与えた試練なのだと解釈し、迫害されながらも律法を守って暮らすという独自の習慣を守り続けた。
4世紀の終わりにキリスト教がローマ帝国の国教になると、キリスト教徒は即座にユダヤ人に対する迫害を開始した。キリスト教はユダヤ教から生まれた分派だったが、だからこそ生みの親であるユダヤ教の存在が目障りでしょうがなかった。キリスト教によるユダヤ人迫害は20世紀のナチス・ドイツによるホロコーストをもたらすが、今なおなくなったとは言えない状態にある。迫害にさらされたユダヤ人は、どうしたらうまく生き延びることができるかを考え、賢く振る舞うことと、いつの時代もそうだが金がものをいう現実世界にあってうまく金儲けする仕方を学ぶようになった。聖書は知恵を得るための格好の教材であった。
7世紀にはイスラム教徒によってユダヤ人の聖地エルサレムが取られてしまう。けれども、その後は20世紀に入るまでイスラム教徒とユダヤ人は意外と仲良く暮らしていた。迫害されるユダヤ人というイメージはキリスト教世界の話であって、イスラム世界ではそうでもなかった。イスラム教の支配者は賢い者を利用することを好んだのである。

(後半は10月15日アップ予定です)