尚絅学院大学

人文社会学類 お知らせ

SDGsコラム 目標14 海の豊かさを守ろう

2022/12/05

持続可能な開発のために、海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用することの重要性を考える(稲澤 努)

「高級魚」になったサンマ:海洋資源の危機

海沿いに広がるエビ養殖池(中国広東省)

海沿いに広がるエビ養殖池(中国広東省)

 SDGs「目標14 海の豊かさを守ろう」は、海や海の資源を守ることと、海の資源を持続可能な方法で利用することを目指しています。海は地球の面積の7割を占めており、人類にとってはとても大切なものです。しかし、無限に思えた海洋資源も環境破壊や乱獲により、大きく減ってしまっていることは報道等でご存知だと思います。かつて毎日でも食べることができた「大衆魚」が、いつの間にか庶民にはなかなか手の届かない「高級魚」になってしまった例はいくつもあります。近年の仙台でいえば、サンマなどがそれに当たるでしょうか。

コモンズの悲劇と伝統的な資源管理

 環境保全やマクロな資源政策についての議論は文化人類学を専門としている私の守備範囲から外れてしまうので、このコラムでは伝統的な資源管理の有用性と育てる漁業の問題点に焦点を当ててお話しします。

 「コモンズの悲劇」という言葉をご存知でしょうか。1968年、アメリカのギャレット・ハーディンが学術雑誌Scienceに「The Tragedy of the Commons」という論文を発表して広まった概念です。簡単にいえば、コモンズ(共有地・共有の資源)が誰でも自由に利用できるものであれば、その資源は枯渇してしまうということです。そのため、小さな共同体では、共有資源に対し、何らかのルールを設定することで、資源枯渇を回避してきました。そのルールには、共同体成員だけがアクセスできるといったメンバーシップの制限、あるいがある祭りの時だけその魚を採取して良いというような機会の制限などがあります。地域内の資源を持続可能な形で利用してきたのです。

 文化人類学者は、各地のこうした資源管理の慣行やそれに関連する諸問題を研究・分析してきました。日本語で読めるものにも、秋道智彌・岸上伸啓(編)2002『紛争の海―水産資源管理の人類学』人文書院、秋道智彌2016『越境するコモンズー資源共有の思想をまなぶ』臨川書店、などがあります。関心のある方はぜひご覧になってみてください。

「育てる漁業」の持続可能性と問題点

  水産資源が減少するのに伴って、「育てる漁業」という言葉を耳にする機会が増えたと思います。確かに、人間の手で数を増やすことができれば、資源減少の影響を最小限に食い止めることができます。また、近年では、「天然の養殖の方が美味しい」とされる魚種も出てきました。養殖技術の向上により、高品質の魚を育てることもできるようになったのです。では、「育てる漁業」は良いことしかないのでしょうか。

 人間は欲深いので(そうでない人もいますが)「儲かるもの」を一斉に養殖しようとします。かつて、日本でエビの需要が高まり、東南アジアのマングローブ林が消えてエビ養殖場になっていく、ということが問題視されたことがあります(村井吉敬1988『エビと日本人』岩波新書など参照)。私の調査している中国南方(気候的も東南アジアに近い)の漁村でも、エビ養殖業は「儲かる」ということで、海岸沿いが次々にエビ養殖場になっています。養殖に携わる人々は、エビ養殖は「儲かる」のは「儲かる」けど「ギャンブル」だとも言います。利益を多く上げようとして狭い生簀にたくさんのエビを入れるため、病気が蔓延し「一文無し」になるという話も聞きました。売れるエビが育たなければ土地代、餌代、病気予防の薬代、水中に空気を送る機械を動かす電気代その他の投資が全部負債となってしまうのです。

 そもそも、次から次へと海沿いの土地が姿を変え養殖場になっていますが、10年後、20年後を考えている人はあまりいないように思います。草がなくなり、ビニールシートで覆われた土地を見ると、素人目にも生態系に負荷がかかっているように見えるのですが、基本的に「儲からなくなったら、その時に考える」という発想のようです。中国では土地は「国家のもの」で、彼らは使用権を購入しているに過ぎない、というのもあるのかもしれませんが・・・。こういう形の「育てる漁業」はとても持続可能な形とはいえないので、今後どうすべきなのかは再考していく必要があるでしょう。もちろん、その場合、地域の人々の生活も持続可能な形であることが前提です。

 ただし、中国に資源管理の意識がないわけではありません。私の調査している地域でも、夏の一定期間は資源保護のために海に出漁できない制度もあり、きちんと執行されています。今後は、資源自体の管理と、資源を生み出す環境自体の保全の双方を目指すことになるでしょう。その時に、これまでの伝統社会での慣行などの在来知が活かせることを期待しています。