尚絅学院大学

尚研|Show KEN

尚研Vol.6 無形の文化を追い後世に残す:総合人間科学系人文部門 准教授 稲澤 努

千葉県出身。東京学芸大学(教育学部国際文化教育課程アジア研究)卒業後、東北大学大学院国際文化研究科でアジア社会論を専攻、同大学院・環境科学研究科環境社会人類学研究室に所属。その後、尚絅学院大学准教授として勤務。博士(学術)。

研究テーマ

  1. 人の移動とエスニシティ
  2. 陸(おか)上がりと伝統の変容
  3. 山元町の震災復興と民俗の変化

今後取り組みたいテーマ,興味など

  1. 中国人の移動(アフリカなどへの動きと文化)

主な学外活動

  1. 【所属学会】日本文化人類学会、日本華僑華人学会、日本華南学会所属

尊敬する教員の生き様に惹かれ、人文研究の道へ

年間5回以上、多い年には10回ほども現地に赴き、熱心に中国の文化研究を続ける稲澤氏。一番最初の“興味の入り口”を問えば、「実は三国志のゲームでした」と話す。稲澤氏の幼少期は、三国志を題材にしたゲーム、漫画、小説が日本国内に数多く生まれ、流行していた時期。三国志のゲームで遊ぶうち、稲澤氏は次第に中国の文化そのものに興味を抱くようになり、漫画や小説も読むようになったという。大学は「アジア研究」専攻の有無を規準に選び、東京学芸大学教育学部に進学。学部4年生になる直前の春休みには、中国広州に2週間の短期留学も経験した。「今でも忘れられないのは、留学期間後に旅行としてさらに1週間滞在した時のこと。現地の中国人に勧められるまま、長距離移動のバスに乗ってみたら、なぜかなかなか目的地に着かないんです。予定の倍くらいの時間が経って、ようやくバスが停まったと思ったら、なんと目的地を遥かに通り過ぎていたんです。ちゃんと目的地を確認しなかった私がいけないんですが、当時は衝撃的でしたね。今ではいい思い出です」そもそもこの短期留学の目的は、「自分は中国に住むことができそうか」という実験のためでもあった。稲澤氏の胸中では、中国で暮らしながら文化研究をしてみたいという思いが膨らむほど、中国文化研究への熱意が高まっていたのだ。また、当時所属していた研究室の指導教員の生き方にも、強く惹かれた。「タイの研究をしている先生で、気になることがあるとすぐタイに直接行って研究するタイプの研究者でした。好きなことをして楽しく生きている。そんな姿を見ながら、自分も同じ道を進んでみたいと思いました」

研究の大部分を占める、現地でのフィールドワーク

中国文化について研究を深めるべく、大学院に進学した稲澤氏。国内で中国文化にまつわる文献を集めたり、中国を訪れ現地に残る民俗について話を聞いたり、公文書館や図書館をまわったりと、多忙な日々を送った。尚絅学院大学で准教授となった現在もそれは続き、近年では広東省を中心に研究を進めている。稲澤氏の「研究」とは、主に「フィールドワーク」を指す。「文化人類学の面白さは、自分の知らないことにふれられることだと思います。特に、現地で行うフィールドワークは、大変なことも含めて面白いと感じますね。私の研究は、もはや文献にも残っていない、人から人に伝承されてきた風俗について調査し、検証し、明文化するもの。つまり、本を読んで調べることはもちろんですが、実際に人に会って話を聞くことが大切なのです。また、追跡調査も重要で、同じ地域に何度も通って、文化の変化について話を聞いたり、移民がやってきた地域を継続的に訪れ、その移入者が地域にもたらした変化について調べることもありますね」

稲澤氏の研究において頻繁に見られるワードの一つが、「食」だ。共著による著書『食をめぐる人類学~飲食実践が紡ぐ社会関係』(昭和堂)にもあるように、「食」と「人類学」は深くつながっているためだという。「人は食なしでは生きられません。栄養補給という意味だけでなく、食文化によって『自分たち』と『そうでない人たち』を分けることもあるし、食事をともにすることで関係をつなぐことや、関係を確認することもあります。例えば、異性に言われる『食事に行きましょう』という言葉が持つ意味は、国や地域、文化圏によって大きく変わるでしょう。また、宮城と山形では『芋煮』の中身が大きく異なります。日本と世界で言うならば、生卵を食べる日本人は海外から見てクレイジーですしね。言葉でも食材でも調理法でも、一つひとつに文化の違いが表れるのが食なんです」

自分の研究が、「もっと寛容な世界」につながれば

現在稲澤氏が取り組んでいる研究テーマは主に3つ。1つ目「人の移動とエスニシティ」は、中国国内での移民や、国外への移民において見られる事象について研究するもので、出稼ぎによる移動が多く、国土が広いため言語も食文化などの風習も異なる中国ならではのテーマだ。2つ目「陸(おか)上がりと伝統の変容」は、約60年前まで船上で暮らしていた中国の一族が、陸(おか)に上がってからどのような生活を送ってきたのか、当時を知る人の話から、子孫を名乗る人の話まで、継続して調査するもの。そして3つ目「山元町の震災復興と民俗の変化」は、東日本大震災後に組織された、宮城県内の無形民俗文化財を調査するプロジェクトにおいて、山元町を担当したことをきっかけに現在も調査・研究を続けているもの。津波により神社や神輿が流されてしまった山元町で、コミュニティ再生や神輿再建の経緯を追い、地域住民に話を聞きながら記録していく。これらの調査結果は、『無形民俗文化財が被災するということ』『震災後の地域文化と被災者の民俗誌』(ともに新泉社)という本にも登場している。

中国文化の研究を行いながら、「アジア文化論」「観光社会学」など人文系の授業も担当する稲澤氏。自らの研究を通して、学生に伝えたいこととは。「文化人類学を学ぶと、自分と他人が違うこと、時代や地域によって常識が大きく違うことに気づきます。学生には、自分の常識を周囲も共有していると思わないように、と伝えています。だから私自身、学生に対して『それは常識だよ』と言わないように気をつけていますね。また、自分の研究が進んだ結果、世界中の人々がもっと互いに寛容になること、異なる文化圏の人々の出会いがもっとスムーズになることに貢献できればうれしいです」

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