7月 ティクバ便り
2023/07/11
「選択」と「諦め」
大学で学生たちを指導して感じることの一つとして,彼らの多くは「選択すること」が苦手だということがあります。これは,若者は昔からそうだったのか,最近の若者がそうなったのかは分かりません。また,誰でも重要なことは決めにくいし,慎重にもなるということは十分に理解できるところでもあります。とはいえ,毎年のように,卒業研究のテーマ選びや進路の選択など,色々なことについて「選択すること」で苦しんでいる学生の姿を目にします。
それでも時間の制約に迫られ,たとえ本人にとっては不満足なかたちであれ,多くの学生たちは何らかの選択をしていくのですが,なかにはいつまでも決めることができず,周囲をヤキモキさせるとともに,ご本人も強い焦燥感に苛まれたりする場合も散見されます。
なぜ多くの学生たちは選択することが苦手なのか,彼らを観察したり,ときには本人に直接に尋ねてみたりしながら自分なりに考えてきましたが,次第に,学生たちが「選択」で苦しむのは,実は何かを選ぶことにともなう,諦めることが苦手なのだということに気づくようなりました。例えば,Aという進路を選ぶことは,同時に,その他のBやCやDという他の選択肢を諦めることを意味します。どうやら学生たちは,これがなかなかできないのだということがわかってきたのです。
確かに,将来に無限の可能性を秘めている若者にとって,その選択肢を一部とはいえ切り捨てていくことは,自らの可能性を狭めていくことのように感じられるのだろうと思います。しかし,彼らが手にしている無限の可能性は,何かを選択して他のものを捨てていくことによってしか現実化できないものでもあります。例えば,カウンセラーになるためには,通常は大学院に進学し,さらに勉強を続けなければいけません。銀行員になって,将来は頭取を目指すということを諦めなくては実現できないのです。ある意味で,生きていくということは,多くのことを選択し,同時に多くのことを諦めていくことだといえるかもしれません。
近年の心理学の研究では,諦めることにも,前向きな諦めと,後ろ向きな諦めがあることが指摘されるようになってきました。「諦める」ということには,問題の解決自体を諦めてしまう投げ出し型の諦めもあれば,自分の努力ではどうしようもない問題にぶつかったときに,先に進むために良い意味で諦めることもあります。従来,心理学的は前者の諦めに注目していたのが,後者の方にも注意が向けられるようになってきたのです。例えば,世の中には,生まれ持った容姿,資質,障害など,努力によってはどうしようもないことも多くあります。できないことにこだわるよりも,できることへ目を転じて,自らの可能性を切り開いていくことのほうが健康的な生き方ではありましょう。
それでは,前向きな諦めと,後ろ向きな諦めの違いはどこにあるのでしょうか。ここで,菅沼ら(2018)が作成した,適応的(前向き)な諦めを測定する「適応的諦観尺度」という質問紙を参照してみると,その質問項目としては,“その選択肢を諦めても私は大丈夫だ”,といった意味合いのものが中心であることに気づかされます。このことや,これまで見てきた学生の姿を思い出してみると,前向きな諦めと後ろ向きな諦めを分けているのは,諦めが自己否定につながっているかどうかであるように思われます。つまり,「何かを諦めること=自分の価値を下げる」という図式があるとき,諦めることは否定的な意味を持つのではないかと考えられるのです。例え,後ろ向きの諦めの典型の一つである問題の解決自体を投げ出してしまう場合でも,「それでも自分は大丈夫」と自分自身が肯定的に納得できれば,それはそれで一つの前向きな解決方法といえるのではないでしょうか。カウンセリングの現場でお会いするクライエントには,以前に経験した何かにこだわり,そこであったことを「諦め」,「水に流す」ことができないことに苦しんでおられる方も少なくありません。
そうしたときに,ついつい「過去のつらい経験へのこだわり諦めることができれば,もっと楽になれるだろうに」と感じたりしてしまいます。しかし,ご本人なりの理由があるからこそ,クライエントはその辛かった経験にこだわられるのであり,第三者があれこれ言ったところ解決しない場合がほとんどです。これまでの経験から,こうした場合に我々カウンセラーができることは,クライエントが経験された辛かったり苦しかったりした経験に共感すると,そして,そうした経験があっても大丈夫ですよとお伝えし,寄り添うことで,クライエントが自ら過去の辛い経験を越えて先に進むことができるようにサポートすることではないかなと僕は考えています。このことを,諦めという本稿のテーマに沿った文脈で言い換えてみれば,カウンセラーには,自分が思う性急な解決を諦めるとともに,クライエントを信じることを諦めない,という姿勢が必要なように思うのです。「諦める」というテーマは,実に深いなと考えさせられるところです。
(川端)