尚絅学院大学

国際交流エッセイ リレーエッセイ

【国際交流リレーエッセイ第47回】 韓国留学前期を振り返って

2023/10/13

国際交流リレーエッセイ第47回目は人文社会学類の柳晏珠さんです。柳さんは韓国培材大学に1年間の交換留学中です。

韓国留学前期を振り返って


今回私が韓国留学をしようと思ったきっかけは、「自身の韓国語をより上達させたい」、「異国の地で学生生活を送ってみたい」、「韓国人の父親を持ちながら、父親がどのような環境や文化で育ったのか、私も実際に住んでみて経験したい」、「自分の取り巻く環境を変えてみたい」と思ったからである。

実際に韓国の大田にある培材大学に留学をしてみて、食事マナーや人とのコミュニケーションなど日本とは異なる部分が多くあることに気づいた。韓国には旅行で何回か訪れてはいたが、実際に住んでみると旅行の時には気づかなかった部分が、沢山見えた。

授業は開講前にレベル分けテストが行われ、その結果次第で語学堂か留学生向けの学部の授業を取れるかの2つのレベルに分けられた。私は今回、学部の授業を受けることになり、「作文とスピーキング」「韓国社会を学ぶ」「大学韓国語」「韓国文化の理解」の4つを受講した。授業内容は韓国の歴史を学んだり、実際に自国の企業をプレゼンテーションしたりした。これらの授業は語学堂とはまた違う内容の授業であった。授業には日本人以外にも中国、マレーシア、アメリカ、イギリス、ベトナムなど様々な国の生徒がいた。他にも授業外の活動として、日本語学科と観光学科の2つのサークルに参加した。そこではスポーツ大会や韓国の文化ゲーム、花見遠足などの際に、韓国人生徒たちと交流する事ができた。前学期が始まり、すぐに日本語学科の「MT」という交流合宿に参加し、大田の沿岸部に位置するテチョンへ行った。海でのスポーツ大会やバーベキューをして交流を深めた。さらには、語学堂の授業の一環としてソウルの校外学習にも参加させてもらい、培材大学の歴史や、韓国大統領官邸のチョンワデを訪れることができた。旅行でもあまり訪れる事がない場所だったので貴重な経験ができた。


基本的に留学生は寮で生活することになっている。外国人寮は2人部屋構成になっており、前学期では台湾人の学生と一緒の部屋で生活した。初めはお互い遠慮しながらの生活だったが、段々と文化や暮らしの違いが見えてきた。初めて他の国の人と暮らしたので、生活面での文化の違いに驚いたり、言語の壁にぶつかったりして、コミュニケーションを取るのが難しいと感じる場面は多くあった。

学校の他でも異文化を日々感じながら生活を送った。悩みながらも宿舎の事務の方に相談して解決してもらい、助けをもらいながらなんとか1学期を終える事が出来た。また、寮での食事は3食学生食堂で食べることもでき、学校の外に出れば飲食店もちらほら並んでいる。キッチンも1学期3000円ほどで借りる事ができ、食事は基本的にそれぞれ自由だった。学校内にお弁当屋とコンビニも2つあるので、韓国の食事が合えば困ることは無いと感じた。


サークルで仲良くなった日本語学科の韓国人の生徒と試験期間前には、お互いの言語を教え合ったり、大田を案内してもらったりした。休日には、韓国人の生徒と食事をしたり、大田の他にもソウル旅行や釜山旅行したりした。ソウルは大田からKTXに乗って片道1時間ほどで到着する。ソウルは韓国の首都ということもあり、人も多く、大田よりは栄えている。ソウルはエリア毎に特徴があり、全部を1日では回り切れないくらい栄えた街だった。最近は、再利用されている倉庫に新しいカフェやレストランが立ち並ぶソンスや、若者向けの雑貨や飲食店があるホンデの人気が高い。ソウルには、日本から来た友人に会いに行ったり、コンサートで訪れたりした。釜山には、留学期間に仲良くなった友人達と旅行し、後日に祖父母と釜山旅行を楽しんだ。釜山は、ソウルの次に栄えている第2の都市で海産物が有名な都市である。友人達とは、海が見渡せるカフェ、ウォーターパークに行き、祖父母とは今から約1300年前の新羅時代に建立された梵魚寺(ポモサ)を訪れた。文化財や歴史、山寺の景観、どれもとても綺麗だった。


前期は暮らしになれる事に精一杯で、あまり韓国の文化や歴史について触れる事が少なかったため、後期では韓国の文化体験や美術館などにも訪れたいと考えている。また、前期では日本語学科の韓国人の学生と話す際、日本語でもお互い会話が成り立ってしまう場面が多々あった。そのため、後期ではより人の輪を広げて現地の韓国人の方と接することで自身の韓国語能力を上げていきたいと考えている。折角の機会を得て、今回留学をする事が出来たので、日本に帰っても何かに活かせるような経験をする事と、後悔のない留学生活を送りたいと考えている。

人文社会学類3年 柳晏珠