尚絅学院大学

学校教育学類 お知らせ

【学校教育学類】 田村ゼミ・卒論指導 ―冬来たりなば春遠からじ―

2022/01/11

 タイトルは、イギリスの詩人シェリーの詩「西風の賦」からの引用です。人口に膾炙(かいしゃ)されているので、多くの方々がご存知のはずです。
 昨年暮れには日本海側の地域で大雪、新年早々には東京に大雪警報発令と雪に悩まされ、また新型コロナウイルス感染症の新たな変異株による感染拡大が勢いを増し、私たちの日常は不安を強いられています。
 入学試験を間近に控えている受験生の皆さんにとって今はまさに正念場。身体的に、そして精神的に、例えれば厳しい冬の真っただなか、待ち望んで来た新しい春を歩もうと皆刻苦し頑張っています。
 同様に、大学四年生もやはり新しい春を目前にし、卒業に向けての最後の冬を迎えています。そうです。卒業論文です。大学四年間の集大成としての成果が今、問われようとしているのです。論文ですから、授業のレポートとは異なります。当然、時間、無駄、お金、集中力、根気・・・が必要とされています。
 私のゼミ生も例外ではありません。Aさんは国木田独歩「武蔵野」を「観光小説」として読み解けないか、Bさんは詩人真壁仁がなぜ地元山形に拘泥(こうでい)したのかを究明する、Cさんはあまんきみこ自筆年譜の空白部分をあまんの戦争体験をもとに解明したい、Dさんは太宰治が「津軽」を書き終えて得たものは何だったのかを探る、Eさんは梶井基次郎作品に表現された「闇」の意味するものを論じたい、Fさんは夏目漱石「虞美人草」を語り論から新たな読みを展開する、Gさんは高村光太郎「智恵子抄」に先駆的フェミニスト高村(長沼)智恵子の存在を説こうとしています。
 ゼミ生と面談していると、一人一人の眼の輝きに驚かされます。しかも、その輝きには、自信がうかがえます。おそらく多くの関係文献を読み、必要作品を読み解き、自分の考えを、自分の言葉で、しかも論理的に、読む人を納得させるだけの論拠をもとに論じ得た成果によるのでしょう。かつてのゼミ生が「大学四年間のうち、これほど集中して勉強したことはなかった」と語ってくれましたが、今のゼミ生もまさにこの境地にいるのではないかと。
 私のゼミ生だけでなく、たくさんの大学四年生が大学最後の厳しい冬に生きています。このように頑張っている大学四年生に、もしかしたら小さい頃から夢にまで見たであろう素晴らしい春がもうすぐ訪れようとしています。卒論は大学生にとって最後の試練かもしれません。
 卒論の下書きを読みながら、私は心の中でゼミ生に頑張れ頑張れとエールを送っています。きっと彼等は私の期待に応えてくれるものと信じています。

 「冬来たりなば春遠からじ」とは、なんて素敵な詩句なのでしょう。

学校教育学類 田村嘉勝