【学校教育学類】 分水嶺を越えていこう (五十嵐誓)
2022/11/14
蚤虱馬の尿する枕もと
『奥の細道』で,松尾芭蕉がこの句を詠んだ「封人の家」から,少し入ったJR陸羽東線堺田駅近くに,この場所はあります。ここまではっきりと目に見える脊梁山脈の分水嶺は,全国的にも珍しいそうです。
水にとっては,重大な岐路なのだが,それが意外と身近なところに,目立たない形でひっそりと存在してたりするというのは,何か示唆的でありロマンを感じる。
堺田地区の看板にあった一文です。写真右に行った水が日本海に出会う場所,最上川河口の山形県酒田市で,私は生まれ育ちました。宮城県で就職し,20代の終わり頃には,ちょうど写真左に行った水が旧北上川を経て,太平洋と出会う沿岸の小学校に7年ほど勤務していました。自分で選択した結果とはいえ,宮城・山形の県境付近で流れ出た水のごとく,その後いくつかの偶然を経て, 尚絅学院大学に本年4月からお世話になっています。現在「教師のライフストーリー」に研究的関心があるのも,自身のこうした来歴に関係があるのでしょう。
本学には,宮城県内を中心に,東北地方をはじめ各地から学生が集っています。入学する際にそうだったように,卒業を迎えるとき,どんな仕事に就き,郷里に戻るのか,この地に留まるのか,あるいは国内外の別の場所に生活の場を求めるのか。その後も幾多の「分水嶺」を越える機会が訪れるでしょう。これだけ交通網や情報ネットワ-クが整い地理的障害がさほど問題ではなくなっても,心理的葛藤がすべてなくなるわけではありません。
かの地の看板には,こんな一文も書かれていました。
同じ流れも西の水はやがて日本海に,東の水は太平洋に注ぎ込み,いつの日か出会うのである。
分かれることは,時間を経ていずれ再び出会うこと。出会うのは「ヒト」でしょうか,「モノ」でしょうか,それとも「コト」でしょうか。どこかはっとさせられる一文です。学生の皆さん,「分水嶺」を越えていきましょう,行きつ戻りつ迷いながらも。