【TASKI】ボランティアチームTASKI、石巻バスツアー報告(3/24)
2023/04/18
語り部の只野さんのお話に耳を傾ける学生たち(大川小学校)
尚絅学院大学ボランティアチームTASKIが、3/24(金)に石巻市震災遺構大川小学校、門脇小学校を訪れました。
語り部の方の話を現地で聞いて、その時感じた気持ちが率直に記されています。
【参加した学生の感想】
◆健康栄養学類 4年 K.Tさん
石巻方面を訪問するのは初めてだった。
大川小学校ではニュースで見たことのある場面や話を実際に聞くことができ、当時テレビの前で見ていた情報は事実だったということを噛み締めた。同じことを繰り返さないためにも正しいことを伝えていく必要があると強く感じた。遺族の方の語り部さんで生の声を聞けたと思う。
門脇小学校では津波や地震以外にも火災の被害があったことを目で見ることができてよかった。
海の近くに住んでいなくても、河川津波が来る地域は沢山あり、その被害がとてつもないものだと知ることができたのでしっかり覚えておきたい。12年という月日が流れて、忘れられていくようになるのではと感じた。同年代に限らず、若い人に震災のこと、防災について知ってもらえるように今後の活動に活かしたい。いざという時に行動できるよう、時間・情報・手段を行動に結び付けられるようにしていきたい。
地域の美味しいものを食べることも、その土地について勉強になるのでお昼ご飯を食べることができて良かった。
◆心理学類 3年 H.Kさん
大川小学校は天災ではなく人災だったということが印象的である。只野さんの語り部を聴き、津波は不可抗力だったとの見方があると思った。現場にいた教員は全力を尽くそうとしたと信じたいし、そのほとんどが犠牲になった事実も重い。けれども、学校で起きてしまった結果への責任はあまりに重大だったと思う。マニュアルの不備や、五一分の間に取った行動が最善でなかったことも明らかだとわかる。遺族たちは、なお悔やんでも悔やみきれない心境に沈んでおり、心のケアも求められているはず。心理学を専攻する者としてさらに学びに磨きをかけたいと思った。未来を断たれた子供たちのためにも、そして二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、学校側は「何が起こったのか」をしっかりと刻印し、目に見える形での「けじめ」をつけるべきだと考える。
只野さんの「美談ばかりを話しているから、辛いことを伝えないからやがて忘れ去られる、辛いことほど伝承していって欲しい」という言葉に深く心を動かされた。たしかに新聞やニュースで、例えば、「宮城県〇〇の職員のAさんは当日、役場の防災無線を使い、津波から避難するように住民に呼びかけた。役場は津波にのみ込まれ、Aさんの行方は分からなくなった。遺体は5月2日、確認された。岩手県〇〇のB町長は津波が来る中、防災会議の陣頭指揮を取っていたが、津波に流され、亡くなった。」等のメディアに流れます。震災直後、2人に関する記事は「死ぬことを覚悟で職務を遂行した」と感じるような内容が目立ったと思う。一部の評論家やジャーナリスト、政治家はこの人たちの行為を「戦中戦後の日本の姿」などと称えたのである。以上のことから東日本大震災が発生し、多くのメディアはさまざまな“美談”を報じてきたことがわかる。震災で多くの人が命を失ったが、彼らの死を「かわいそう」「仕方がない」といった表現でまとめていいのだろうか。その出来事を美しい話や良い話にして乗り越えるのではなく、向き合っていく必要があることを勉強出来た。
◆心理学類 4年 Y.Nさん
今回のバスツアーを通して、やはり震災関連の話には美談が多いと感じた。
大川小学校では「生き残った奇跡の児童」、
門脇小学校では「避難訓練に力を入れていたから助かった」。
私は、この話を聞いて本当にそうなのだろうかと思った。
震災前から避難訓練を徹底して行っていれば、全員が助かることなど当たり前のように成し遂げられる目標であるはずだ。それをあたかも、当時起こった奇跡のように語り継ぐことは、只野さんが仰っていたような「逃げ」に繋がると思う。
臭いものには蓋をする、といったように自分たちにとって都合の悪いことは見て見ぬふり。
そうではなくて、聞いて欲しい話ばかりを取り上げる。
それを普通のことのように受け止めて、そこばかりに注目してしまう自分たちにも、問題があるのでは無いか、と思わされた。
日本に住んでいる以上、地震というものはいやでも何回も体験することになる。
その時、揺れや恐怖に慣れてしまって、大雑把でいいや、このくらいでいいだろう、という隙があったから、大川小の悲劇が起きたのだと私は思っている。
反対に、門脇小は確かに学年同士の繋がりが強く、また避難訓練もかなり緻密に行われていたようだ。
このように、いくら体験してもそれに慣れることなく、いつ自分の命が危険にさらされるか分からないという状況を予測しながら、何が出来るかを考えていかなければならないなと感じた。
同時に、こう考えるのは防災や減災に興味がある人間だけではだめで、興味が無い人や行政にも考えてもらわなければならない事だと今日のバスツアーを通して痛感した。
加えて、行政にはさらに震災遺構の取り扱いについて、遺族だけではなく市民などと話をする場を作って欲しいと思った。
遺構を訪れた人が何を感じ、何を残して欲しいと思うのかを伝えて、そしてそれを実現するための柔軟性をどうにかして伝えることは出来ないかと考えることきっかけになった。
大学生が出来ることはたかがしれていると思うが、それでも、発信すること、共有すること、学ぶこと、これらは辞めてはいけないなとより強く思うバスツアーでした。
◆健康栄養学類 4年 H.Uさん
今回のバスツアーを通して、伝えていくことの意義を改めて考える機会になった。現地で話を聞いた上で震災関連の話を思い返すと綺麗な話ばかりが取り上げられていると感じて、だから記憶にも残らないのかなと思った。綺麗な話だけじゃなくて、現実的な辛いことも伝える必要がある。伝える活動をする上で、正しい情報を伝えるためも、自分たちももっと勉強しないといけないと思う。特に、今回のバスツアーで学ぶこと・考える事が多かったので、震災の概要だけでなく、地域による細かい違いを学ぶことが大切だと思った。火災なども起こる可能性がある等、津波や地震のことだけでなく同時に起こる危険性がある災害についても勉強していく必要がある。河川津波についても、知らないことが多かった。河川津波が河口から約50km先まで来ていたという話を聞いて、「内陸だから大丈夫」という意識を変えていく必要があると感じた。
伝えていく事も大切だが、伝えた上でこれから何ができるのか考えていきたい。震災を踏まえた情報の更新を意識して、正しく伝えていくことで同じことの繰り返しを避けることができると思った。
乗り越えるのではなく向き合うことが大切と言う事が印象に残った。向き合えるようになってから心の復興にも繋がるんじゃないかなと考えた。
閖上と復旧の状態は似ていて、閖上を見たときにも思ったが新しい建物ばかりなことがすごく違和感があった。復旧と復興の違いについて実感し、深く学ぶことができた。
◆人文社会学類 2年 A.Nさん
今回のバスツアーを通して改めて、伝承の意義と必要性を考えることができた。大川小学校や門脇小学校に限らず、当時の出来事はどうしてもメディアの報道の仕方次第で情報が偏ってしまう。このまま都合の悪い事は隠され、美談ばかりが強調されれば、視聴者は今回の出来事から何も学ぶことができず、同じ失敗を繰り返す可能性があると考える。それを防ぐためには、やはりより多くの人に当事者の話を聞いてもらい、災害についての理解を深め、防災意識を高める必要があると感じた。
また、語り部の方の話を聞き、大川小学校の事故は必ずしも学校側の問題だけではないのでは無いかと感じた。町ぐるみの防災訓練や親子参加型の訓練などがこれから当たり前になり、地域全体の防災力が高まればいいと思った。
今回学んだ事をこれからの活動に活かしていきたい。特に被災者のアフターケアや子供や学校に焦点を当てた防災について考えていきたいと感じた。
◆人文社会学類 2年 A.Hさん
今回、初めてバスツアーで石巻を訪問し、震災遺構の意味を改めて考えさせられた。地震の記憶を忘れ去られている地域の人々に対して、12年前の津波・火災・地震の記憶を多くの人々に理解して欲しい思いがあるから建物を残しているのだと感じた。去年の夏に訪問した閖上の震災遺構と比較すると、火災が発生している点が違うことに気づいた。門脇小学校も大川小学校も、沿岸部の地域である以上、津波・地震・火災を想定した避難訓練を地震が発生する前にするべきだったのではないかと思った。今後、「堤防があるからそれを目的にして避難を行えば良い」という甘い考えを捨て、迷わず、逃げず、一人でも多くの命を救うことを優先することが大切だと考える。
◆心理学類 3年 S.Cさん
自分の知識の少なさや勉強不足だということを強く痛感したバスツアーだった。
特に津波の被害について、ただ大きな波が海から来たのではなく、川の上流へ波が押し寄せ川が氾濫することや津波によって引き起こされる火災があることなどを知り、視野が狭くなっていたと感じた。
他にも、情報を発信する際にどのようにして正しい情報を集め、それを発信していくか改めて考えさせられ、情報発信について、責任の重さを感じ自分の知識が本当に正しいものなのか不安になってしまった。
◆心理学類 3年 S.Sさん
今回のバスツアーを通じ、“日頃からの備え”が重要であると感じた。
大川小学校では授業の一環として校舎の裏山にシイタケ栽培で登っていたという。当時の児童も「なぜ裏山に逃げないのか」教員に尋ねていた、という話も聞くことができた。生存した唯一の教職員も津波が来る前に「裏山に逃げるからな」と話していたという。
それに対し門脇小学校では縦割り活動が活発に行われており、実際に震災当時は靴を履いていなかった小学一年の児童を小学六年の児童が背負い、避難したという。
大川小学校にて語り部を担当してくださった只野様は今回の被害を「人災」としてとらえていた。大川小学校では危機管理マニュアルが適正に作成されておらず、初めから裏山を避難場所として、避難訓練等を行っていれば被害を抑えることができたはずである。校庭に避難後、児童も教職員もラジオを聴いていたそうだが、とするとなぜ山に逃げなかったのか、部外者ではあるが、そう感じざるを得ない。“行政の嘘”についても聞くことができた。これまでの自分はネットで調べ、あたかもそのことについて知ったような錯覚に陥っていることに気づかされた。自分たちの不手際を隠そうと、石巻市が無断で民間の山に「立ち入り禁止」の看板を立てたことや、石巻市の小中校が震災を学ぶ際に大川小学校には訪れないこと。距離的にも近い位置にあるはずなのにもかかわらず、副読本にすら(大川小の)記載がない。こういった内容はいくらネット上で調べても知りうることに限界がある。実際に被災した状況を自分自身の目で確認し、かつ語り部等をはじめとした“当時のことを知る人”に真実を学ぶことがいかに大切かを痛感させられた。只野様がおっしゃっていた「いかに正しく伝えていくか」「本当の意味でしなければならないこととは何か」ということは今後、TASKIとしても、一個人としても生きていく我々が考え続けなければならないことではないだろうか。
以上
裏山から大川小学校の校舎を望む
門脇(かどのわき)小学校の校舎内を見学するTASKIの学生
みやぎ東日本大震災津波伝承館内での様子
震災遺構門脇小学校に向かうTASKIの学生たち