尚絅学院大学開学20周年
リレーエッセイ
1月のリレーエッセイ:大学のクラブ活動 女子バレーボール部について
2024/01/04
本大学には、学生会に所属する課外活動クラブ団体が体育会と文化会に分かれて38団体(2022年度)あり活発に活動をしております。
今回は、本学バレーボール部顧問 石垣恵理さんと元バレーボール部員であった木村佳也乃さんからエッセイを寄稿いただきましたのでご紹介いたします。
「これからも先生と共に」
「恵理ちゃん、お父さん息してないの」。小田嶋先生の奥さんからの電話だった。
2022年4月8日。この日は私にとって25年間「日本一」を目指して共に歩んだ戦友でもあり、20代早々に相次いで父母を亡くして以来私の父親代わりでもあった恩師、小田嶋充先生との別れの日となった。電話を切ってすぐご自宅に駆けつけ、先生と対面した。初めて先生の顔に触れながら、亡くなる直前の様子を奥さんから聞いた。涙がとまらなかった。
1978年以来32年間、連勝記録621、東北では不敗。そんな記録を持つ巨塔、東北福祉大学にそれまで何年も、何度も挑戦し、何度も打ち砕かれ、何度も挫折した。それでも立ち上がるのが小田嶋先生だった。何かが足りない。どうしても勝ちたい。勝った時の喜びを選手たちに味わってもらいたい。それは勝った者にしか味わうことの出来ない最高の喜び。その道標を開いてもらおうと、2008年の秋から「優勝請負人」と称される元全日本オリンピック選手の古川靖志氏に縁あって練習を見てもらうことになった。
2009年の春リーグも一歩及ばず負けた。その年の夏休みの練習は地獄だった。丸々一箇月間、朝から夕方までレシーブ練習のみ。一切の妥協を許さず一つのミスも許さない、そんな緊張感を持った練習は初めてだった。選手は代わる代わるトイレに駆け込んだ。一日の練習が終わると選手の身体は憔悴しきっていたが、「勝ちたい」という気持ちが伝わってくる表情をしていた。それはスタッフ全員も同じ。「勝たせてあげたい」と、3人が皆同じ気持ちだった。
そして2009年10月18日。やっとその日が訪れた。「東北福祉大学に初めての勝利」。セット率の差で優勝を逃したものの、あの時の、勝った瞬間の喜びは当時の選手、保護者、そして我々スタッフも一生忘れる事が出来ない最高の喜びであった。この勝利を段取りしたのは、信念と執念。この言葉を併せ持ち、この言葉通りの人、小田嶋先生本人に他ならない。翌年、春季リーグ戦では初優勝を手にし、秋季リーグ戦においては2連覇を達成した。
小田嶋先生のお通夜と葬儀には沢山の卒業生が参列してくれた。皆、口々に言っていた。あの4年間を考えたら今どんな事があっても乗り越えられる自信がある。本気で私たちの事を考え、本気で私たちと向き合ってくれた小田嶋先生には感謝しかない。先生と関りを持った全ての人がそう思っているだろう。先生ほどの人間力を持った人は、私は先生しか知らない。亡くなってから1年8ヶ月が過ぎた今でも毎日のように「先生どうしたらいいですかね?先生ならどうしますか?」と、相談している。
2021年11月、まだコロナ禍だった当時、家族さえも看病につくことがままならない中、一人闘病中、先生が病室で書いたメモがある。「信念・心念」、「生きざま きれいに終るチャンスをもらった。感謝」。自分に残された時間が短いことを悟ってもなお、自分に課題を課し最期まで自分らしく、バレー部と共に生きようとした先生の姿は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
この尚絅に、常に学生のため、バレー部のため、信念を貫き通した小田嶋充という教員がいたことをどうか忘れないであげてください。先生の信念は私がもらい受けました。これからも先生と共に信念を持って歩んでいきます。
体の痛みと孤独に戦う最中 監督としてチームを牽引した最後の試合 初めて東北福祉大学に勝った選手の
病室で書いたメモ (2021年10月31日東北大学秋季リーグ戦 優勝) 代の卒業生送る会にて(2011年3月)
【略 歴】
平成11年3月 尚絅女学院短期大学 生活科学部生活科学科 卒業
平成16年3月 仙台大学体育学部健康福祉学科 卒業
平成11年~平成27年 本短期大学嘱託職員、本学院高校非常勤講師、本大学非常勤・特別講師
平成28年4月 尚絅学院事務職員(現在に至る)
平成11年~令和4年 本学女子バレーボール部コーチ
令和4年4月 尚絅学院大学バレーボール部顧問・監督 就任
「バレーボールが繋いでくれたもの ~恩送りのバトン~」
卒業生/木村 佳也乃
「小田嶋先生、私は教師になりました。先生の分も頑張っています。ありがとうございました。」
先生が生きていたら、どんなに喜んでくれただろうか。先生から学んだ3年間が私を教師へと導いた。最期のその時まで、生きる力を見せてくれ、這い上がる力を教えてくれた恩師。先生の生き様と魂はバレーボールを通じて今もずっと残り続けている。
たかがバレーボール。されどバレーボール。私はこの4年間をかけてバレーボールに真剣に取り組むことができた。バレーボールに費やした時間は、私の人生の中で必ず生きると、そう確信している。
コロナ禍に翻弄され、出口のないトンネルを当てもなく、もがき続けた日々。変わりゆく日常に無力感と絶望を抱いた時もあった。そんな中に光を灯してくれたのが、仲間や家族、支えてくれた人たちだった。「また明日」と当たり前に交わせること、くだらない会話で笑い合える日々、時にはぶつかり涙することもあったけれど、どんなときでも仲間がそばにいてくれた。手を差し伸べ、救ってくれた。同じ目標に向かう仲間がいることがどんなに心強かったか。無観客の試合が続き、会場に足を運んでくれて、応援してくれることへのありがたみを実感した。会場に響き渡る声援を送ってくれ、よく頑張ったと声をかけてくれたたくさんの人たち。それだけで幸せだった。バレーボールがあることで多くの人と繋がれた。バレーボールが人と出会える理由となり、大切なことに気づかせてくれるきっかけとなった。
この4年間のバレーボールが、私を教師の道へと導き、宝となって今、ここにある。ボールを繋ぐスポーツであるバレーボール。それだけじゃない。私にとってバレーボールは、たくさんの人や想いや命を繋いでくれたかけがえのない宝だ。
今この瞬間も尚絅学院大学バレーボール部を守り続けてくれている石垣恵理先生・古川靖志先生。いつでも戻っておいで、そう言ってくれるような気がする。
「恵理先生・古川先生、いつか恩返しができるように、教師の道を進み続けます。そして、これまでに受け取った恩を子供たちに送ります。ありがとうございました。」